亀山社中について

亀山社中といえば、あの秘伝の漬け込みダレが通販で人気の亀山社中の焼肉のことを思い浮かべる方も多いかと思いますが、本来、亀山社中というのは坂本龍馬が江戸時代末期の幕末に結成した海援隊の前身となる日本で初めて設立された商社のことだったのです。

亀山社中の創設者でもあった坂本龍馬

坂本龍馬といえば、いわずと知れた動乱の幕末時代の歴史に名を遺した志士であり、薩長同盟の斡旋や大政奉還の成立に尽力し、海援隊を結成したことでも有名で龍馬の波乱に満ちた生涯については、司馬遼太郎の小説「龍馬がゆく」や2010年に放送されたNHK大河ドラマの「龍馬伝」など数々の映画やドラマで紹介されています。

亀山社中の創設者の一人坂本龍馬の写真

坂本龍馬は天保6年(1835年)に土佐国土佐郡上街本町1丁目(現高知県高知市上町1丁目)土佐藩の郷士坂本家の次男として生まれました。

12歳の頃に母の幸が病死し、その後は父、八平の後妻、伊与に育てられますが、13歳から土佐藩士の剣客、下級武士の多く集まる日根野弁治の道場に入門して小栗流の武術を本格的に学ぶようになり、5年間の修行の後、「小栗流和兵法事目録」を得ます。

「小栗流和兵法事目録」を得た龍馬は土佐藩に剣術修行のために江戸遊学を願い出、北辰一刀流の創始者千葉周作の弟、千葉定吉が道場主の桶町千葉道場に入門し、千葉道場での1年の剣術修行の後、土佐藩に帰国し、日根野道場の師範代となりますが、再び剣術修行の為、江戸に出て土佐勤王党の創始者武市半平太とともに江戸の土佐藩邸中屋敷に寄宿して剣術修行に励み、「北辰一刀流長刀兵法目録」を授けられます。

その後、武市半平太の秘密裏に結成した「土佐勤王党」に加盟し、土佐藩を脱藩して、再び江戸に出て長州藩の久坂玄瑞・高杉晋作らとの交流を経て、勝海舟の弟子となって神戸海軍操練所の設立や勝海舟の私塾、神戸海軍塾の開設に奔走し、神戸海軍塾の塾頭に任命されました。

ところが、神戸海軍塾の塾生が幕府勢力と対立していた長州藩の倒幕運動に関わっていたことや老中の阿部正外の不興を買ったことなどから、勝海舟は軍艦奉行を罷免され、神戸海軍操練所も閉鎖されますが、勝海舟は龍馬たちの行く末を心配して薩摩藩に彼らの庇護を依頼します。

亀山社中の結成と薩長同盟への道

龍馬をはじめとする海軍塾の塾生たちを受け入れた薩摩藩は彼らの航海術の専門知識に着目し、長崎の商人小曾根家とともに援助、出資を行い、長崎の亀山の地において慶応2年(1865年)、海援隊の前身となる亀山社中が結成されることになります。

亀山社中の跡地の画像

亀山社中は貿易や物資の運搬等の通常の商業活動を行う傍ら、航海術の取得などにも努め、これらの活動を通じて当時犬猿の仲であった薩摩藩、長州藩を和解をさせることを目的とする団体でした。

幕府は敵対していた長州藩との武器弾薬類の取引を欧米諸国に対して全面的に禁止していたので、長州藩が欧米の先進的な近代兵器を購入するのは困難な状態でした。

そこで龍馬は、一計を案じ、薩摩藩名義で武器弾薬類を購入してその武器を長州藩に転売し、その代わりに米不足で困っていた薩摩藩に長州藩のお米を供給するということを行いました。

その手始めとして最初に行った仕事が、長崎のグラバー商会からからのミニエー銃4,300挺、ゲベール銃3,000挺の薩摩藩名義での買付けでその銃火器をを長州藩に斡旋供給を行い、これをきっかけに薩摩、長州の両藩は和解へと動き始めるようになっていきました。

その後も亀山社中は薩摩藩名義でイギリス製蒸気軍艦ユニオン号を購入し、長州藩との桜島条約の締結により、ユニオン号の運航は亀山社中が受託することになりました。

亀山社中から海援隊へ

亀山社中での龍馬らの活躍によって薩摩、長州の両藩は慶応2年(1866年)1月22日、龍馬の立会いで京都の小松邸において薩長同盟と呼ばれる軍事的政治的盟約を締結するに至りました。

その直後、龍馬は投宿していた寺田屋で伏見奉行に急襲されて手に傷を負うものの(寺田屋事件)、第二次長州征伐ではユニオン号に乗船して戦闘を指揮し、10万人を超える幕府軍に最新鋭の近代兵器を装備した長州軍は連戦連勝し、幕府軍を撤兵させました。

この頃、龍馬が脱藩した土佐藩は軍備強化を急ぎ、後藤象二郎を責任者として長崎に派遣して武器の調達にあたっていましたが、そんな中、薩長とも深い関係を築き亀山社中で多大な実績を上げてきた龍馬に注目し、後藤象二郎と龍馬による清風亭会談が行われました。

kaientai

清風亭での会談後、土佐藩は龍馬らの脱藩を赦免し、亀山社中を土佐藩の外郭団体的な位置づけの組織にすることが決定され、これを機に海援隊へと名称変更されることとなりました。

現在の亀山社中は幕末の古地図から推定した長崎市の建物を当時に近い状態に復元し、2009年8月から亀山社中記念館として広く一般公開されています。

名誉館長には坂本龍馬に心酔し、尊敬してやまない「金八先生」でお馴染みの俳優の武田鉄矢さんが就任されています。